関西人って商売気質で関東人は下町気質ってどういうこと

一般的に関西人は商売気質なため、なんでも値切るし挨拶も「まいど」なんて言葉を使ったりします。かたや代々続く関東の人は下町気質が残っているらしいですね。それぞれの気質ってどんな特徴があるのでしょうか。

関西の商売気質は、江戸時代に商いが盛んだったころの気質といえるでしょう。江戸時代の関西は商売が盛んな街でした。商売をして栄えれば財を成すことができるといわれていて、誰しも商いをすることに憧れていた時代だったんですね。商売ができない人は、自分の子供を商人の家に丁稚奉公としてだすことが、今でいうエリートへの近道だったようです。商売ができない人たちはあまり裕福ではないため、我が子を丁稚奉公にだすことで、食いぶちが一人減るというのも理由でした。

丁稚奉公に入った子供は、お給金こそもらえませんが、商いのノウハウだけではなく、読み書きや計算まで教えてもらえ、寝床と食事も用意してもらえるので、みんなこぞって丁稚奉公になりたがったわけです。丁稚奉公として優秀な人は、商売のためののれん分けをしてもらえ、自分で商いを始めることができたので、みんな頑張って働いたんですね。ただ、のれんわけをしてもらえるのは、100人に1人くらいの割合だったと言われており、かなり狭き門だったといえるでしょう。

関西人は、商いを通じて人と接する術を身につけてきたので、とにかくよくしゃべります。無口な商売人なんて考えられないですよね。お客さんに来てもらわないといけないので、愛想もいいです。誰かれ構わず話しかけるところはこんなところからきているのでしょうね。商人は安く仕入れて高く売るのが基本、お客さんは少しでも安く買うのが生活の知恵、だったため、とにかく値切り合戦が激しかったようです。店先であいさつ代わりに値切るようになったと言われています。

関東の下町気質はどんなものなのでしょうか。葛飾区・墨田区あたりを中心として下町と呼ばれていたようです。江戸時代の下町は、高台に高貴な武士が住んでおり、低い土地に一般の町民が住んでいたようです。下町気質とは、この町民に対して使われるようになったわけですが、一般の町民なので貧乏な人が多く、頑固でぶっきらぼう、喧嘩っ早い性格が特徴でした。ただ、貧乏だったため仲間意識は強かったようです。仲間意識が強いので、ご近所同士の付き合いは大事にするし、「人様に迷惑はかけない」という気持ちを持っている人が多くいます。頑固は筋金入りで、このころの「父親像」といえば、「頑固で恐い」存在でした。べらんめぇ口調で怒鳴り散らし、すぐ頭に血がのぼるので、子供たちは絶対に逆らえなかったようですね。

下町は隣近所との付き合いが盛んで、両隣やお向かいさんなどは家族同然で、勝手にずかずかと上り込んでお酒を呑むなんてことも日常茶飯事だったようです。そして下町は、職人の街ともいわれ、ものをつくらせると右に出るものはいないといわれるほど、腕のいい人が集まっていたようです。ご近所さんはみな何かしらの職人さんなので、ちょっと声をかけると家が建ってしまうほどだったと伝えられています。

この「ものづくり」は、今でも引き継がれていますよね。大田区が有名ですが、「人間の手でものをつくる」という意気込みが現代にも残っています。職人技は健在で、世界に発信する大田区としても名は知れ渡っており、日本の誇りとなっています。

関西、関東どちらとも、こうして過去をひも解いてみると、当時の気質がそのまま引き継がれているのがよくわかります。それぞれ気質が違うのも当たり前といえば当たり前だったんですね。